甲骨文字と金文
「甲骨文字」と言えば、何となくわかる気がする方がいると思います。
「甲・・・亀の甲」「骨・・・主に牛の肩甲骨」に刻まれた文字です。
肩甲骨は骨の中では比較的平たく広い所があるので使われたようです。
甲骨文字が発見されたのが20世紀初頭と比較的新しいのです。
漢方薬として売られていた骨に文字の様なものが書かれているのが
見つかり、そこから出土場所を探し・・・
「殷墟(いんきょ)」が見つかりました。
「殷墟」は紀元前14世紀から 紀元前11世紀の殷王朝後期の都でした。
その殷王朝で亀の甲羅や牛の肩甲骨に刻んで占いに使われていたのが
「甲骨文字」です。
そして、「金文(きんぶん)」とは、殷を倒して次の王朝となった
周王朝が青銅器に鋳込んだり、刻みこんだものです。
鋳込むとは簡単に言うと南部鉄器の鉄瓶のイボイボの様に
内側の型と外側の型の間に溶けた青銅を流し込んで作るものなので、
刻む文字とは違う形になるのでしょうね。
ちなみに、余談ですが・・・
この殷と周の戦いを描いた物語の「封神演義」では・・・
殷の最後の王の紂王(帝辛)が行ったと言われる「酒池肉林」や
周の軍師となった太公望(呂尚(りょしょう))など、どこかで聞いた事が
書かれています。
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