新*今日の漢字* 「郡」
今日はどうやらジムへ行けそうです。
ではその前に・・・
新*今日の漢字*
「郡」 音読み グン 訓読み ---
画数 10画 部首 おおざと(郡の右側)
では常用字解で調べてみましょう。
形声 音符は君(くん)。
君は古くは里君とよばれる村落の統治者で、その支配する地域を郡といったのであろう。
県は古くは国の直接の支配地であった。
紀元前二二一年に中国本土を統一した秦(しん)王朝は、全国を三十六郡に分け、郡の下
に県を置いた。
明治以降の日本では、県の下に郡を置く制度をとっている。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
形声 声符は君(くん)。
木には古くは里君とよばれる村落の統治者で、その支配する地域をのち郡といったので
あろう。
里君の名は周(しゅう)初の金文[令彝(れいい)][史頌(ししょう)き(皀+殳)]に
みえ、[書、酒誥(しゅこう)]や[逸周書(いつしゅうしょ)、商誓]に、誤って里居に
作る。
この村落共同体は、その後も長く地方行政下に含まれていたものであった。
[説文]六下 に「周の制、天子は地、方千里、分ちて百縣と爲し、縣ごとに四郡有り」、
[左伝、哀(あい)二年]に「上大夫は縣を受け、下大夫は郡を受く」とし、県大郡小と
する。
しかし秦(しん)の三十六郡以前にも、すでに郡大県小の制であったことは、[日知録]や
[陔余叢攷(がいよそうこう)]に詳論がある。
金文には郡の字はみえず、[叔夷鎛(しゅくいはく)]に「余、女(なんぢ)に釐都(り
と(所領の地名))〇〇を賜ふ。其の縣三百なり」、また[そ鎛(はく)]に二百九十九邑を
賜うたことがみえ、県と邑は同じ制度の規模であったとみられる。
郡は独立的な古代氏族国家が、王朝的組織に編入されたときに生じたものであろう。
[釈名(しゃくみょう)、釈詁(しゃくこ)]に「郡は國なり」とする方がよい。
郡制は、天下を直接統治下においた秦に至って布かれたものである。
白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
「郡」は「里君とよばれる村落の統治者が支配する地域」だったようですね。
のち「秦(しん)王朝は、全国を三十六郡に分け、郡の下に県を置いた」のですね。
今の日本では県の中に郡がありますが、反対だったようですね。
さて今日の一枚は・・・
これは9年近く前に家を建て直した時に購入したテーブルヤシです。
購入当時は苔玉に生えていましたが、今は植木鉢へ植え直しました。
中央付近に色濃い2本の棒のようなものがありますが、新しい葉っぱの広がる前の姿です。
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