新*今日の漢字* 「舎」
昨日の曇り空とは一変して、良い天気です。
では・・・
新*今日の漢字*
「舎」 音読み シャ 訓読み ---
画数 8画 部首 人(ひとやね)
では常用字解で調べてみましょう。
会意 もとの字は舍に作り、(舍の上部)と口とを組み合わせた形。
(舍の上部)は把手のついた長い針の形。
口は「さい」で神への祈りの文である祝詞を入れる器の形。
害(害の中間が丯。そこなう)と同じように、長い針で口(さい)を突き刺し、
祈りの働きを傷つけ、祈りの効果をすてさせることを舍という。
舍は「すてる」の意味となり、捨(すてる)のもとの字である。
常用漢字の字形は害・舎で、針の先を折って口(さい)に届いていいないから、
口(さい)を傷つけてそこなうこともすてることもできなくなっている。
金文では「舍(お)く」とよみ、「舍(あた)ふ」という用法もあり、それから
「やどる、やどり、いえ」の意味となったのであろう。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
会意 旧字は舍に作り、(舍の上部)(把手(とって)のある針器)と口とに従う。
口は「さい」で、祝禱(しゅくとう)を治める器の形。
その器の上から、長い針器でこれを突き刺す形。
これによって祝禱の呪能(じゅのう)はぶられ、その呪能を失うので、捨てる
意となる。
すなわち舎は捨の初文。
いまの常用漢字は、針先を折って口(さい)に達しめないのであるから、字の構
造的な意味は失われている。
[説文]五下 に「市居を舍と曰ふ」とし、字形を亼(しゅう(集))とてつ(艸の
右側の形(屋根))と口(建物の形)との会意と解するのは、字形の解釈を誤
る。
祝禱を収める器を破るから、祝禱の書の内容を外に宣(の)べる意となり、命を
発することを「命を舍(お)く」という。
金文の[令彝(れいい)]「三事の命を舍(お)く」「四方の命を舍く」[小克鼎
(しょうこくてい)]「命を成周(せいしゅう)に舍く」など、その例である。
また与える意となり、[令鼎(れいてい)]に「余(われ)は其れ女(なんじ)に
臣三十家を舍(あた)へん」、[こつ(上下に爪+曰)鼎(てい)]「矢五秉(へ
い)を舍(あた)へよ」、[散氏盤(さんしばん)]「散に舍(あた)ふる田」のよ
うにいう。
その古音は余(よ)に近いものであったらしく、[荘子、知北遊(ちほくゆう)]に
度(ど)・居(きょ)・故(こ)と韻している例がある。
のち宿舍の意となり、[左伝、荘三年]に「凡そ師出づるに一宿するを舍と爲す」
と、旅宿の意とする。
楚の令尹舎(れいいんしゃ)、字(あざな)は之発(しはつ)、斉(せい)の
慶舎(けいしゃ)、字は子之(しし)は名字相対する義をとる。
さらに止息の意となって、[論語、子罕(しかん)]に、孔子が川上にあって、
「逝(ゆ)く者は斯(かく)の如き夫(かな)、晝夜を舍(お)かず」と嘆じ
た。
いわゆる「川上の歎(たん)」である。
(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
この文字は過去の説にも現代の字形にも白川先生はご不満があるようですね。
まず、部首のことですが、「人(ひとやね)」、「舌(した)」、「口(くち)」の三種類
があるようです。(今回はとりあえず「人」と表記しました。)
諸説あるので、私には判断しかねます。
「舎」はもと「舍」と書いて「長い針で口(さい)を突き刺し、祈りの働きを傷つけ、祈り
の効果をすてさせる」ということを表していたのですね。
現在の常用漢字は「針の先が口(さい)に届いていないので、祈りの効果を捨てさせること
ができなくなっている」のですね。
また[説文]では字を「亼(しゅう(集))とてつ(艸の右側の形(屋根))と口(建物の
形)」としているのですが、これは誤りである、とバッサリと否定していますね。
情けない花の姿になってしまいましたが、種からシクラメンの若い葉が出ていたそばに
あった、植えっぱなしのシクラメンが、密かに咲いていました。
私たちはクリスマス近くにシクラメンをよく見かけますが・・・
自然に咲いたら、今?なのでしょうか。
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