新*今日の漢字* 「歌」

川崎は朝から良い天気でじわじわと暑くなってきています。

日ごろ、朝の4時半ぐらいから真ん中の猫が私を起こすので・・・

昨夜「フクちゃん朝早く起こさないでね!」と顔を見ながら説得すると・・・

ちょうど間合いよく「にゃぁ」としぶしぶ返事をしました。

本当に解ってるの?思っていたら・・・

今朝はアラーム鳴る5時50分まで起こしませんでした。

では・・・

新*今日の漢字*

「歌」  音読み  カ    訓読み  うた うた(う)

     画数  14画   部首  欠(あくび かける)

では常用字解で調べてみましょう。

  形声 音符は哥(か)字はまた謌(か)に作る。

     哥は可を重ねた形で、可は「か(可の口無し)」(木の枝の形で、杖(つえ))で

     口(さい(神への祈りの文をである祝詞を入れる器))を殴(う)ち、その祈り願う

     ことが実現することを神にせまるの意味で「可(べ)し」という命令と「可(よ)し」

     という許可の二つの意味をもっている。

     欠(けん)は立っている人が口を開いて叫んでいる形で、神にせまるとき、その神に祈る

     声にはリズムをつけて、歌うように祈ったのであろう。

     その声の調子を歌といい、「うたう、うた」の意味に用いる。

     国語の「うた」も「拍(う)つ、訴(うった)う」と関係があるように思われる。

     詠歌(歌を歌うこと)の詠は声を長くのばす歌い方、歌は強くせまるような歌い方で

     であろう。

     歌謡(うた)の謡は「わざうた」(時事の風刺などを含むはやり歌)で祭肉を供えて

     神にねだるように歌うことをいう。

     唱はみなでそろって勢いよく合唱するという歌い方である。

(白川静 常用字解 平凡社)より

次に字統を調べてみました。

  形声 声符は哥。哥は可を重ねた形。

     可は祝禱(しゅくとう)成就することを神に祈り、呵責(かしゃく)してせまる意で、

     そのとき発する声を呵(か)といい、歌という。

     [説文]八下 に「詠(うた)ふなり」とし、詠(三上)にも「歌ふなり」とあって、

     互訓。

     重文として謌(か)を録する。

     金文には字を訶(か)に作り、「訶舞(かぶ)」「訶鍾(かしょう)」のようにいう。

     歌うという行為はもと祈禱や祝頌(しゅくしょう)のことから発しており、本来呪的な

     意味をもつものであった。

     国語でも「うた」は「訴う」と同じ語源であろうとされている。

     [詩、魏風(ぎふう)、園有桃(えんゆうとう)]に「心憂ふる 我、 歌ひ且つ

     謡(うた)ふ 我を知らざる者は 我をば士として驕(おご)ると謂ふ」と歌う。

     [園有桃]は生活苦のために、土地を捨てようとする悩みを歌うもので、この歌謡には

     呪詛(じゅそ)的な意味があり、それで「驕る」と現実の状況に批判的な態度をとる

     のである。

     [詩、小雅、何人斯(かじんし)]は人を呪詛する歌で、「此の好歌を作りて 以て

     反側(はんそく)を極(せ)む」とその裏切りを責める。

     歌はその言霊(ことだま)をもって、呪能を発揮するのである。

     歌はもと呪詛・哀告をなすもので、

     [周礼(しゅうらい)、春官、女巫(じょふ)]にも「凡そ邦の大烖(たいさい)には、

     歌哭して謂ふ」とみえるが、のち歌楽・謳歌(おうか)の意に用いるようになり、

     楽しむべきものとなった。

     [礼記(らいき)、檀弓(だんぐう)、下]に、晋(しん)の献文子(けんぶんし)の室が

     成るや「斯(ここ)に歌ひ、斯に哭(こく)し、國族を斯に聚(あつ)めん」と

     新室(にいむろ)を祝うものがあった。

     歌と哭と吉凶相対して用いているが、歌の機嫌はおおむね吉凶のことに際して、神に

     祈って歌舞する礼に発するものであった。

(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より

今はのんびりと歌謡ショーとか言っていいますが、古時代の歌謡は真剣で重々しいものだったの

ですね。

それだけ、神や自然を畏れ、敬い、信じて生きていたのですね。


では今日の一枚は・・・

先日も載せたブラックベリーです。

着々と色づき始めています。

今日は写真のものも含めて4粒収穫しました。


ケセラおばさんの日々是好日

今日の漢字での常用漢字が終わりましたので・・・ 元々大好きな、空や植物や動物を見つめて行こうと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000