新*今日の漢字* 「道」
2日の「今日の漢字」を書いている途中でPCを触れなくなったようで・・・
3日4日の延暦寺、壷阪寺、高野山の旅行を挟んで5日の本日に仕上げたいと思います。
では・・・
新*今日の漢字*
「道」 音読み ドウ トウ 訓読み みち
画数 12画 部首 しんにょう
では常用字解で調べてみましょう。
会意 首と辵(ちゃく)とを組み合わせた形。
辵(しんにょう)には歩く、行くの意味がある。
金文には、さらに又(ゆう(手の形))を加えた字形があり、首を手に持って行くの意味
となる。
この首と辵と又(寸も手の意味)とを組み合わせた字は導である。
古い時代には、他の氏族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考え
られたので、遺族の人の首を手に持ち、その呪力(じゅりょく(呪いの力))で邪霊を
祓い清めて進んだ。
その祓い清めて進むことを導(みちびく)といい、祓い清められたところを道といい、
「みち」の意味に用いる。
把手のついている大きな針(余)を呪具として使い、この針を地中に刺して、地下に
ひそむ悪霊を祓い清めることを除といい、そのようにして祓い清められた道を途という。
のちには道理(物事の当然のすじみち)のように用い、わが国では芸事の専門分野の意味
に用いて、華道・茶道のようにいう。
「いう」の意味にも用いる。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
会意 首と辵(ちゃく)とに従う。
古文の字形は首と寸とに従い、首と手(寸)で携える形。
金文には首と辵と又(ゆう)とに従う字があり、のちの導の字にあたる。
辵(しんにょう)は歩く、行く意。
首を手(又)に携えて行く意で、おそらく異族の首を携えて、外に通ずる道を進むこと、
すなわち除道(道を祓い清めること)の行為をいうものであろう。
道を修祓(しゅうふつ)しながら進むことを導といい、修祓したところを道といった。
[説文]二下 に「行く所の道なり」と訓し、字を会意とするが、首がこの字においてどの
ような意味を持つものであるかについて説いてはいない。
金文の字には行と首とに従う字形があり、行は内外に通ずる大道をさす。
外界に通ず道は、外族やその邪悪なる霊に接触するところであるから、除道のための儀礼
は厳重を極めるものがあった。
途は除道のための呪具(じゅぐ)の余(はり)を地中に突き刺す形、路は各に従うが、
各は祝禱(しゅくとう)して神をよび下す形である。
また外部との境界である門にも、呪禁としての敵酋(てきしゅう)の首を埋めることが
多かった。
中略
すなわち道とは啓行の儀礼で、のちにも旅立つときの儀礼を道祖という。
このようにして啓’(ひら)かれたものが道であり、人の安んじて行くところであるから、
人の行為するところを道といい、道徳・道理の意となり、その術を道術・道法といい、
存在の根源にあるところの唯一者を道という。
道は古代の除道の儀礼の意より、次第に昇華して、ついに最も深遠な世界をいう語と
なった。
術は呪霊をもつ獣(朮(じゅつ))を用いて除道をすることを意味する字であるが、
同じような思惟課程(しい)過程を通じて、その方法の意となり、道家では合わせて
道術という。
(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
意味が深かったですね、確かに道の字の要素として首という字が入っていましたが、子どものころに
まさか外部の人の首を持ってお祓いをしていたなんて考えてもいませんでしたね。
禍々(まがまが)しくも思いますが、異族の酋長の首や骨には強力な呪力があると思われていたの
ですね。
今でいえば、科学の最先端の考え方だったのだと思います。
その思いが漢字として今に伝わっている、それを読み解いた人がいる、これが漢字のロマンであり、
面白さなのでしょうか。
実家の姉のお供で大好きなお寺さんめぐりをしてきました。
比叡山延暦寺では「相応和尚一千年御恩忌 本尊釈迦如来御開帳」ならびに「釈迦堂内陣特別拝観」
が行われており、秘仏のご本尊は33年ぶりの御開帳でした。
また釈迦堂内陣は日ごろお坊さんのみ立ち入れる場所ですので大変貴重な体験でした。
その後、壷阪寺こと壺坂山南法華寺に交通事情で遅れて伺ったのですが、ご親切に時間延長していた
だいきました。また丁寧なご説明をいただき、さらに仏様の近くまで歩み寄ることができ、拝顔する
ことができます。歴史的には延暦寺や高野山よりも古いそうで、眼病に霊験あらたかだそうです。
翌日は朝から高野山へ。大門で案内人の方が同乗し、「連休で道路事情が心配なので」ということで拝観順序を変更して「女人堂」「壇上伽藍」「奥の院」へと回りました。
壇上伽藍では丁寧なご説明の後自由行動ということで、姉は念願だった八角経堂を一周回し、膨大な
お経を読んだのと同じ功徳を積みました。
その後、金堂を拝観し、前回工事中だった中門の四天王を拝顔しました。
その内、広目天と増長天は現代の大仏師松本明慶師の手により新たに作られたもので、広目天の胸元
には蝉が、増長天の胸元にはトンボが彫刻されている珍しいものです。
そしていよいよ私の念願だった三鈷の松の松葉探しです。
普通松葉と言えば、2本で一組ですが、この三鈷の松の松葉は一部の物が3本一組となっているそう
で、前回行った時には見つけることができませんでした。
今回やっと見つけたものが、柵の中で手が届きません、すると近くにお年寄りがストックを持って
探していたのです。
私は取れませんが、ストックがあればきっと取れるはず、と教えてあげました。
満面の笑みとともにお礼を言われましたが、心の中では「今回もご縁がないかったか。」と思いつつ
足元を見ると、みんなに踏まれている場所になんと3本一組の松葉がありました。
喜んで1,2歩移動すると、またまた3本一組の松葉がありました。
「情けは人の為ならず」と言いますが、人に親切にすると自分にも良い事が起こるのですね。
ということで、今日の一枚は・・・
念願の三鈷の松の松葉です。小さい方が初めに見つけたものです。
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