新*今日の漢字* 「君」
大雪の名残が色濃く残る中、娘が仕事でした。
雪の中ノーマルタイヤでの車の運転は自信が無いので、バスで行きました。
では・・・
新*今日の漢字*
「君」 音読み クン 訓読み きみ
画数 7画 部首 口(くち)
では常用字解で調べてみましょう。
会意 尹(いん)と口とを組み合わせた形。
尹は丨(こん(杖(つえ)))を又(ゆう(手の形))で持つ形で、神に仕える聖職者を
いう。
杖は神の杖で、ここに神を呼び招くことができた。
口は「さい」で、神への祈りの文である祝詞を入れる器の形である。
君とは神の杖を持ち、祝詞を唱えて神を呼びよせることができる巫祝(ふしゅく(神
に仕える人))の長であった。
この巫祝の長が統治する権限を持っていたので、氏族の長を君といった。
君はもと巫祝の長の事であったが、のち「君主(世襲により統治する人)・統治者・
きみ(君主。主君。主人。高貴の人)」の意味に使われた。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
会意 尹(いん)と口とに従う。
尹は神杖(しんじょう)をもつ形で、聖職者を意味する字。
口は「さい」で祝禱を収める器の形。
祝禱して祈る聖職者をいうのが原義である。
[説文]二上 に「尊なり」と声義の近い字をもって釈し、「尹に從ひ、號(がう)を
發す。故に口に從ふ」と口で命令する意とするが、口は祝禱を収める器の形。
尹は金文に官名として作冊尹(さくさくいん)・内史尹(ないしいん)など、巫史(ふ
し)家伊藤の長官名に用い、みな神事を掌(つかさど)るつかさど聖職者の代表が殷都に
集められていた。
殷の王権を助けたものは伊尹(いいん)、周では金文に皇天尹大保(こうてんいんたい
ほ)とよばれる召公(しょうこう)であった。
君はそのような聖職者であり、同時に政治的な君長たるもので、古くは氏族長が君と
よばれた。
金文の[小盂鼎(しょううてい)]には「多君」の語があり、[しょう圜器(えんき)]に
「皇辟君(こうへきくん)」の語があり、[史頌(皀殳)(ししょうき)]に「里君百生
(ひゃくせい(姓))」の語がある。
古くは婦人がその地位にあったこともあり、王侯夫人のことを君氏とよぶ伝統があった。
(中略)
[左伝、襄(じょう)十四年]に「夫(そ)れ君は神の主なり」とあり、古くは神につかえる
ものが君であった。
神巫(しんぷ)たる女性が君であったことは、わが国の卑弥呼(ひみこ)の時代と同じで
ある。
のち君臣の意となり、君子の義となる。
君子は詩篇に多くみえるが、金文では、[晋姜鼎(しんきょうてい)]に「遠(ゑん)邇の
君子を綏懐(すいくわい)す」とみえ、いわゆる多君、・里君百生を指していう語で
あった。
それで君子とはもと君の位に在るものをいう。
これに聖人君子のように徳性としての意味を与えたのは儒家であった。
のち二人称の敬称として用いる。
(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
字統がとても長かったので、同じような例をあげているところを省略させていただきました。
「君」とはもともと「神の杖を持ち、祝詞を唱えて神を呼びよせることができる巫祝(ふしゅく
(神 に仕える人))の長」だったのですね。
日本でいえば、卑弥呼などがそうらしいですね。
確かに古い時代の中国では天変地異を予言できる人が国を支配したという説を聞いた事があります。
「君」の変遷としては「巫祝の長」から「国の君主や統治者」となり、「主人や高貴な人」そして
「徳性のある人」となり、最後に「二人称の敬称」となったのですね。
さて今日の一枚は・・・
この姿を見ると、冬を前に葉を落とす落葉樹の意味が少しわかる気がしました。
このあと、金柑とともに棒で雪を叩き落として、ほぼ元通りになりました。
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