新*今日の漢字* 「死」
平昌(ピョンチャン)オリンピックが始まりましたね。
しかしながら、我が家のTVは時代劇と刑事物とサスペンスのザッピングの隙間にオリンピックの
様子が少しだけ流れます。
では・・・
新*今日の漢字*
「死」 音読み シ 訓読み し(ぬ)
画数 6画 部首 歹(かばねへん がつへん)
では常用字解で調べてみましょう。
会意 歹(がつ)と人(ヒ(ひ))とを組み合わせた形。
歹のもとの形は(歺の下の部分のタの部分が冂の内側に横画を一本入れる)に作り、
死者の胸から上の残骨の形。
古くは死体を一時的に草むらに棄てて、風化して残骨となったとき、その骨を拾って
ほうむることを葬(ほうむる)という。
このような埋葬形式を複葬という。
拾い集めた残骨を拝み弔う形が死で、「しぬ、ころす」の意味となる。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
会意 歹と人とに従う。
歹は死者の残骨の象。
人はその残骨を拝する人であるらしく、死を弔う意である。
死の声義について、[説文]四下 に「漸(つ)くるなり。人の離るる所なり」という。
死漸(しし)・死離はともに畳韻の訓。
人の死するや、まずその屍(しかばね)は草間に棄てられら。
風化を待つためである。
のち殯葬(ひんそう)という形式がとられ、板屋(ばんおく)などに隔離し、安置した。
そうして風化した骨をとって葬るので、いわゆる複葬(ふくそう)の形式をとる。
卜文の生死の字は囚(し)に作り、棺中に人のある形。
いまの死字の形は、がつ(歺の下の部分のタの部分が冂の内側に横画を一本入れる
(歹))の前に人の跪(ひざまず)く形で、あきらかに複葬の形式を示している。
それで死はもと生死の字でなく、屍(し)を意味する字であった。
漢塼(かんせん)にもなお「死、此の下に在り」とあって、死を屍の意に用いる。
金文では死を司・治(ち)の義に用いる。
[康鼎(こうてい)]「王、命ず。王家を死̪̪し(辭の字の辛の代わりに司)せよ(治めよ)」
[師きき(皀殳)]「女(なんじ)有(また)隹(こ)れ小子なるも、余(われ)、女(なん
じ)に命じて我が家を死(をさ)めしむ」、[毛公鼎(もうこうてい)]「死(をさ)めて
動せしむること毋(なか)れ。余一人位に在り」など、その例が多い。
いずれも仮借義(かしゃぎ)である。
尸(し)を主(つかさど)る、死を司・治の義に用いて、これらの字を不詳として避ける
ことがないのは、わが国の古俗と大いに異なるところである。
死を生死の意に用いるのは[詩][書]などの文献に至ってからのことである。
葬は死(屍)の草間にある形。
その枯槁(ここう)の骨をおくところは蒿(こう)で、薤露(かいろ)・蒿里は挽歌(ば
んか)、蒿里とは墓所をいう。
生死のことは儒家に至って論ぜられ、荘子に至ってこれを超克する思想的努力がなされ
た。
儒家は葬礼を主とする巫祝(ふしゅく)の徒、荘子学派は古代の祭司階級の人びとであっ
たと思われる。
(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
「死」は字に含まれる「歹」が「死者の胸から上の残骨の形」で「ヒ(人)」は「その残骨を拝する
人」つまり「弔い」形だったのですね。
「死者を草間に棄てる」と読んで、驚くと思いますが、日本でも古い時代には風葬や鳥葬といって、
自然界の力を借りて葬儀をしていたので、ごく自然なことなのかもしれません。
その後、詩経(周代)や書経(原型は周代らしい)のころには今のように「生死」の「死」の意味に
使われるようになったようですね。
字統に「卜文の生死の字は囚(し)に作り、棺中に人のある形」 とありますが、今では囚人は塀や
檻(おり)の中の人の意味になっていますね。
さて今日の一枚は・・・
昨日届いた新しい車です。
昨日は後ろに写っている車の辺りからこの位置まで動かしてみました。
なにぶんにも、オートマの車をあまり運転したことがないので、小さな大冒険でした。
敷地の外に出るのは・・・今日かな~?明日かな~?
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