新*今日の漢字* 「詩」
今日は娘が仕事だったので、外孫を預かりました。
靴を履いて少しだけ歩けるようになったので、公園へ2回遊びに行きました。
午前中の公園はおじいさんたちが集っていて、みんなに声をかけてもらっていました。
では・・・
新*今日の漢字*
「詩」 音読み シ 訓読み ---
画数 13画 部首 言
では常用字解で調べてみましょう。
形声 音符は寺(じ)。
古い字形に̪(言之(し))に作るものがあり、音符は之(し)。
[詩経(しきょう)、 大序]に「詩は志の之(ゆ)く所なり。心に在るを志と爲(な)
し、言に發(はつ)するを詩と爲す」という。
また、[詩経、大雅、崧高(すうこう)]に「吉甫(きつほ(人の名。尹吉甫(いんきつ
ほ)。西周宣王期の人))誦(しょう)を作る 其(そ)の詩、孔(はなは)だ碩(お
ほ)いなり(はなはだおおらか)其の風、肆(なが)く好(よ)し(そのしらべ、のび
やか)」とあって、心にあることを言葉に出すのが詩で、その詩は多くの場合、神の前で
声をあげて歌いあげる儀式の「うた」であった。
詩の章句を声に出すことによって言霊(ことだま(言葉に宿ると信じられた霊の力))が
はたらき、吉祥(きっしょう(めでたいこと))を得たり、呪(のろ)いを加えたりする
ものと考えられた。
のち、文学の形式として人の心情などをうたう。
わた国の「うた」も、最初は神に対して訴える所からうたという語ができた。
詩歌(しいか)の類は、すべて最初は言葉の持つ力を信じる呪歌(じゅか)からはじま
り、のちにその文学性が重視られて作品になってゆく。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
形声 声符は寺(じ)。
古い字形は之(し)に従い、之声。
[説文]三上 に「志なり」とする。
[詩]の[大序]「詩は志の之(ゆ)く所なり。心に在るを志と爲し、言に發するを詩と爲す」
による。
[詩、大雅、巻阿(けんあ)]「詩を矢(つら)ぬること多からず 維(こ)れを以て遂
(つい)に歌ふ」、また[大雅、崧高(すうこう)]「吉甫(きつほ)、誦(しょうを
作る 其の詩、孔(はなは)だ碩(おほ)いなり 其の風、肆(なが)く好し 以て
申伯(しんはく)に贈る」の句によると、詩は誦すべき呪誦(じゅしょう)であり、定め
られた儀礼の歌であって、人の心情を即興的に自由に歌うものではない。
定式の詩のみでは不十分であるゆえに、「詩を矢ぬること多からず」として、即興の歌を
もってこれに加えるのである。
詩が本来呪誦的なものであったことは、[小雅、巷伯(こうはく)]「彼(か)の人を譖人
(しんじん)を取りて 豺虎(さいこ)に投げ畀(あた)へん 有北、 受けずんば
有昊(いうかう(天))に投げ畀へん」と呪詛(じゅそ)の語をつらね、最後に「寺人
(じじん)孟子(まうし) 此の詩を作爲す 凡百(はんひゃく)の君子 敬(つつ
し)んで之(これ)を聽(き)け」と歌う。
[小雅、何人斯(がじんし)]も人を呪詛する詩で、「此の三物を出(い)だし 以て爾
(なんぢ)を詛(そ)せん」といい、「此の好歌を作りて 以て反側(心変わり)を極
(せ)む」としており、詩や歌は、本来呪歌であり、呪誦であった。
「詩を矢(つら)ぬ」とは、わが国でいえば、[万葉集]十五の「當所誦詠古歌」にあるもの
であろう。
[後漢書(ごかんじょ)、五行志、 一]に「言の從はざる、(これ)を不艾(ふがい
(不治))と謂ふ。 ~厥(そ)の極憂には、 時に則ち詩妖(しえう)有り」とみえ、
詩には受霊が存するものとしている。
寺には金文の邾公(ちゅこう)けい(牛巠)鐘(しょう)に「萬年に至るまで分器を是
(これ)寺(たも)て」のように、保持し持統する力があるとする観念が、あったので
あろう。
詩の起源は呪誦、詩の字義は、その呪能を保つものであったと考えられる。
(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
「詩」はもともと「心にあることを言葉に出すのが詩で、その詩は多くの場合、神の前で 声をあげて
歌いあげる儀式の「うた」」だったようですね。
そして、その言霊によって呪能を保つものであったと考えられるようですね。
のちに文学性が重視られて作品になってきたようですね。
さて今日の一枚は・・・
なんとバレンタインデーにチョコレートを頂きました。
宇宙チックな素敵なチョコレートです。
内孫たちのママさん、つまりお嫁さんから主人とお揃いの物でした。
ありがたいことです。
私も息子と孫二人(男女)にプレゼントしたのですが・・・
来年はお嫁さんの分も考えようと思います。
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