新*今日の漢字* 「酒」
今日は朝から外孫が遊びに来て、てんやわんやで始まりました。
今は娘が気を使ってくれて、お散歩中です。
では・・・
新*今日の漢字*
「酒」 音読み シュ 訓読み さけ さか
画数 10画 部首 酉(ひよみのとり)
では常用字解で調べてみましょう。
形声 音符は酉(ゆう)。
酉は酒樽(さかだる)の形で、酒のもとの字である。
「さけ」をいう。
酉の上に八を加えた酋(しゅう(ふるざけ))は酒樽より酒気の発することを示す。
酋(さかだる)を両手捧げて神前に置く形は尊である。
木製のたるを樽(そん)という。
殷(いん)・周代の青銅器には酒器の類が多く、その器の銘文には「寶そん(こざとへん
+尊)彝(ほうそんい)を作る」ということが多い。
そん(こざとへん+尊)とは神が天に陟(のぼ)り降りするときにつかう神の梯(はし
ご(こざとへんのもとの形は梯の形))の前に酒樽を捧げて置く形である。
殷王朝では祭祀(さいし(まつり))に多く酒を使い、そのため酒のせいで王朝が滅んだ
とされている。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
形声 声符は酉(ゆう)。
酉は酒樽の形で、酒の初文。
今の字形は形声字である。
[説文]十四下 に「就(な)すなり。人性の善惡を就(な)す所以(ゆゑん)なり」とし、
また「一に曰く、造(はじ)まるなり。吉凶の造まる所なり」という。
酒と声の近い就・造によって語源を説こうする音義説で、何の根拠もないことである。
また事物起原説話として、儀狄(ぎてき)が酒を作り、禹(う)が嘗めてこれを美(う
ま)しとし、ついに儀狄を疎(うと)んじ、杜康(とこう)がきび酒を作った話をしるし
ている。
[戦国策、魏策(ぎさく)]にみえるものである。
杜康はのち酒の異名となった。
酒は水穀の精、孰穀の駅として古くから神事に用いられ、殷(いん)では祭祀(さいし)
に多く酒を用いた。
[書、酒誥(しゅこう)]や金文の[大盂鼎(だいうてい)]に、殷の滅亡は酒淫(しゅいん)
によるものであるとしているが、古い祭政的国家では、酒によって神人一体の至境を具現
することが、政治の要諦(ようてい)とされた。
それで殷代の彝器(いき)には酒器が多く、器種にも富み、その制作は精美を極めている
ものが多い。
また鬱鬯(うつちょう)(香草)で香りをつけている酒は、その芳香をもって神を降(く
だ)し、聖地を祓禳(ふつじょう)する力があるとされた。
[周礼(しゅうらい)、天官]に酒正・酒人の職があり、祭祀や饗宴(きょうえん)の際に
供する酒を掌(つかさど)る。
[漢書(かんじょ)、食貨志、下]に「酒は百藥の長、嘉會(かくわい)の好なり」とその徳
を賛している。
酒を詩文に歌うことは、魏(ぎ)・晋(しん)の際にはじまる。
晋の劉伶(りゅうれい)に[酒徳頌(しゅとくしょう)]の一篇がある。
(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
「酒」のもとの字はさんずいのない「酉」だったようですね。
そして「酉」は「酒樽」のことだったのですね。
殷王朝の祭祀には多く酒を使用していたようで、それによって滅びたといわれることもあるよう
ですね。
「酒池肉林」(酒を以て池となし、肉を懸けて林となす)という言葉はこの殷王朝最後の王の
紂王の故事からできたようですよ。
でもお酒はほどほどにすると、「百薬の長」になるのですね。
さて今日の一枚は・・・
上野シリーズの続きです。
地下鉄銀座線のホームドアです。
パンダの姿がやさしく通せんぼしてくれました。
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