新*今日の漢字* 「商」
今日は外孫を連れながら、下の孫のお迎えに幼稚園へ行きました。
少し心配でしたが、下の孫がやさしい性格なので、危なげなく帰宅しました。
では・・・
新*今日の漢字*
「商」 音読み ショウ 訓読み あきな(う)
画数 11画 部首 口(くち)
では常用字解で調べてみましょう。
会意 辛と(内の上が突き抜けていない形)と口とを組み合わせた形。
辛は把手のついた大きな針で、罪人に刑罰として入れ墨するときに使う針。
(内の上が突き抜けていない字)は辛を立てる台座の形。
口は「さい」で、神への祈りの文である祝詞(のりとを入れる器の形)。
辛はその刑罰権を示すための象徴的な大きな針で、これを台座に樹て、祝詞の器を前に
置いて祈ることを示し、神意を問うの意味となり、神に「はかる」というのがもとの意味
である。
また商は殷王朝の正式な国号で、その都を甲骨文に「大邑商(だいいふしゃう)」と
いう。
殷は次の周王朝が商を軽蔑(けいべつ)の意味を含めて呼んだ名である。
「あきなう、商業(あきない)」の意味は、もと賞を受けること、償(つぐな)うことと
関係があり、代償として賞を与えるという行為と関係がある。
賞として与えられることから、おそらく償いとしての報償(弁償)という行為が、のち
取引のような関係と理解されるようになって、商行為の意味に使われるようになったもの
と思われる。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
会意 辛(しん)と(内の上が突き抜けていない形)と口とに従う。
辛は把手(とって)のある大きな針器。
入墨に用いるもので、刑罰権を示す。
(内の上が突き抜けていない形)は台座の形。
口は「さい」で祝禱を収める器の形。
台座の上に辛を樹(た)て、その前に口(さい)をおいて祈り、神意を問う意である
から、商(はか)ることを原義とする。
古代王朝としての商は、殷(いん)の正号で、その都は大邑商(だいゆうしょう)と
いった。
商はその神政的な支配を示す国号であったと思われる。
周が方形の彫盾(ちょうじゅん)に祝禱を加え、その支配権を示す字毛であるのと同じ。
[説文]三上 に「外よりして内を知るなり」、すなわち商搉(しょうかく)、推測する意
とするのは、字形解釈を誤る。
上部の辛を章の省文として明らかの意下の「とつ(内の内側下に口)」に内の意があると
するものであるが、卜文・金文の字形は、辛とその台座の形とを主とし、「とつ(内の
内側下に口)」に従うものではない。
商に商業・商賈(しょうこ)の意があるのは、亡殷の余裔(よえい)が国亡(ほろ)んで
のち行商に従ったからであるとする説もあるが、商には賞の意があり、代償・償とく(讀
の言→貝)のために賞が行われるようになり、のちそのことが形式化して、商行為を意味
するものとなったものと思われる。
金文の[こつ(稻の禾無し)鼎(てい)]に賠償の字に賞を用いており、賞賜と賠償とは、
もと性質の近いものであった。
商は神意をはかることを原義とし、そこから商閲・商量の意が生まれ、のち賞・償の意
より商賈・通商の意となったものであろう。
賞賜に用いる字は商の下に貝を加えたものがその本字である。
(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
「商」はもともと「刑罰権を示すための象徴的な大きな針で、これを台座に樹て、祝詞の器を前に 置いて祈ることを示し、神意を問うの意味となり、神に「はかる」」という意味だったようですね。
そして、驚いたのは甲骨文字の説明の際に出てくる殷王朝の殷が商であることは知っていたのです
が、殷が次の周王朝によって軽蔑の意味を含んでいたのですね。
そして、今の「商」の意味となる、「あきない」などの意味は賞・償の意味から生まれたようです
ね。
さて今日の一枚は・・・
初卯祭の続きです。
2名の稚児とその親によって的を射る儀式が行われます。
0コメント