新*今日の漢字* 「遊」

ニュースでは北朝鮮とアメリカのトップの会談がたくさんとりあげられています。

何の力もありませんので、うまく行くように見つめて行くしかありません。

では・・・

新*今日の漢字*

「遊」 音読み  ユウ ユ    訓読み  あそ(ぶ)

    画数   12画    部首  しんにょう(辵)

では常用字解で調べてみましょう。

  形声 音符は斿(ゆう)。

     斿はえん(方+人(吹き流しをつけた旗竿の形))と子とを組み合わせた形で、旗竿を

     持つ人の形である。

     斿は氏族霊の宿る旗を押し立てて出行することをいい、遊・游(ゆう)のもとの字で

     ある。

     秦には神霊が宿るので、神霊が「ゆく」こと、気ままに行動することを遊・遊行(ゆう

     ぎょう(ぶらぶら歩くこと))という。

     [説文]七上 に「游は旌旗(せいき(はた))の流(旒(りゅう)はたあし)なり」とし、

     また遊の字をあげている。

     斿がもとの字で、それに行くの意味のある辵(ちゃく(しんにょう))を加えた遊が作ら

     れ、またおよぐのの意味の游も作られた。

     遊・游はともに「あそぶ」の意味に用いる。

     あそぶというのは、もと神霊があそぶこと、かみが自由に行動することをいう意味で

     あったが、のち人が興(きょう)のおもむくままにこうどうして楽しむという意味に用い

     られるようになった。

(白川静 常用字解 平凡社)より

次に字統を調べてみました。

  形声 声符は斿(ゆう)。

     斿は氏族霊の宿る氏族旗を建てて、外に旅することを示す字で、遊の初文。

     字はまた游(ゆう)ともかく。

     [説文]には遊を収めず、游字条七上に「旌旗(せいき)の流(りゅう)なり」とし、古文と

     して遊の字をあげている。

     斿がその初文で、列国期に至って遊の字が用いられ、のちまた游泳の字が分岐した。

     遊とは遊行移動するものをいう。

     [詩、周南、漢広(かんこう)]「漢に游女有り 求むべからず」とは漢水(かんすい)に

     女神が出遊することをいう。

     園氏は漢水の女神祭祀(さいし)を歌うものである。

     [秦風(しんぷう)、兼葭(けんか)]も詩意不明のものとされるが、これも水神祭祀の歌

     で、女神を追迹して咨嗟(しさ)詠歎するのは、女神祭祀の基本的な形式である。

     すべて自在に行動し、移動するものを遊といい、もと神霊の遊行に関して用いた語で

     ある。

     わが国の遊部(あそびべ)が喪祝として神事に与(あずか)る、ものであったことは、遊

     の古義をなお存するものである。

     遊君・遊女などももとは神につかえるものであった。

     うかれ・遊びはすべて人間的なものを超える状態の語であった。

     また「あそぶ」という語も、神遊びが原義であり、「あそばす」という敬語もそこから

     うまる。

     神とともにある状態をいう。

     すべて故郷を離れることを遊学・遊宦(ゆうかん)・遊子としい、天子が地方をめぐるの

     を遊予、他界に優遊するのを遊仙、心の楽しむを遊心という。

     [論語、述而(じゅつじ)]に「仁に依(よ)り、藝に游ぶ」とあり、「藝に游ふ」ことを、

     孔子も人の至境としている。

(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より 

「遊」という字のもとの字は「斿」で「氏族霊の宿る旗を押し立てて出行する」意味だったのです

ね。

その斿に行くの意味のある「しんにょう(もとは辵(ちゃく))」をつけて「遊」の字が作られたの

ですね。

そして、「遊」は本来は「神霊があそぶこと、かみが自由に行動する」ことだったのですね。

のち、人にも使うようになったのですね。

この「遊」は白川先生も大好きな字の一つだそうです。


さて今日の一枚は・・・

モモといちごが興味津々に見つめているのは左側が下の孫が作った2両連結の電車金麦号で・・・

右側が上の孫が作ったレインボーにゃんにゃん号です。

「折り紙を使いすぎ!」という私の意見など、どこ吹く風、上の孫は車体全体に折り紙を貼り

ました。

もはや、折り紙ではなく、貼り紙になっています。

上の孫は私に「しばらく折り紙の使用禁止」を言い渡されました。

ケセラおばさんの日々是好日

今日の漢字での常用漢字が終わりましたので・・・ 元々大好きな、空や植物や動物を見つめて行こうと思います。

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