新*今日の漢字* 「史」
今日はお彼岸のお墓参りに娘家族、息子家族と共に行きました。
では・・・
新*今日の漢字*
「史」 音読み シ 訓読み ---
画数 5画 部首 口
では常用字解で調べてみましょう。
会意 中と又(ゆう)とを組み合わせた形。
中に二つの系統があり、上下に吹き流しをつけた旗竿(はたざお)の形と、木に
口(さい)をつける形とである。
旗竿は中軍(本陣)の将の掲げる軍旗の旗竿である。
史の場合の中は、木に口(さい(神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる
器の形))をつけた形である。
又は右手の形。
史は口(さい)をつけた木を右手に持ち、高く捧げて神に祈り祭るの意味で
ある。
史は三千数百年ほど前の殷王朝では、廟(みたまや)で祖先の霊を祭るとき、
すなわち内祭りのときに祖先の王を史(まつ)る祭りの名に用いた。
地方に出て山や川を祭るときには、王の使者が口(さい)をつけた枝のある大き
な木をささげて出行したが、その木を持つ人を使(つかい)という。
使者が遠くに出かけて山や河などで国家的な祭祀(さいし(祭り))を行うとき
には、口(さい)をつけた木に吹き流しをつけて捧げたが、それが事(まつり、
つかえる)で、外祭をいう。
史はもと祭りの意味であったが、のち祭りを行う仕事をする人を史といい、また
祭りの記録をする人、祭りの「記録(ふみ)」を史といい、歴史(人間社会の移
り変わりの様子。また、その記録)のように用いる。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
会意 中と又(ゆう)とに従う。
又は右手の形。
中は祝祷を収める器の形である口(さい)を気に著(つ)けた形。
これを手にもち、神に捧げて祭る形式の祭儀を史といい、史祭をいう。
卜辞に「我は又史せんか」「今(こ)の六月に、又史せんか、七月に又史せん
か」などと、月次祭(つきなみさい)のように祖霊を祭るものが史祭であった。
史祭の対象には、大乙(たいいつ)・祖丁(そてい)・小丁(しょうてい)など
祖王の名があげられている。
史祭はいわゆる内祭であるが、河や岳、三川の諸神を祀(まつ)るときには、
祭りの使者が派遣された。
使者は祝祷を収める器である口(さい)を大きな木の枝に著けて、これを奉じて
使いした。
気は上部が枝となって分かれるY形のものを用い、さらに吹き流しをつけた。
その字形が事で、使の初文である。
使いとは祭りの使者である。
その字形である事は、同時に祭事をいう語であった。
卜辞に「人を嶽(がく)に使(つかひ)せんか」「人を河に使せしめんか」と
は、祭りの使者を出して、外祭を行うことをいう。
その重要な祭祀(さいし)は大事とよばれた。
王朝の支配は、内祭的な史祭、外祭としての使者の派遣、その妻子の執行という
という祭政的な形態を持って行われる。
其れを王事という。
王事の起源的な意味は、諸邦族が王の派遣する祭りの使者を受け入れ、その祭祀
の執行を認めるということであり、卜辞に「召(せう)は王事を(おこな)はん
か」のように卜する。
(さい(おこな))は載の初文で、載行(行なう)の意。
(さい(おこな))は史の字形とも関連がある。
卜辞にみえる召(しょう)はのちの召公奭(せき)の家で、殷の時代には召方と
いい、武丁(ぶてい)期には服事していた。
召が殷の使者を受けて「王事を(おこな(さい))ふ」ことは、殷に服事する
ことを意味する。
卜辞には諸邦族に対して、このように卜している例が極めて多い。
史は金文においては使役の意に用いられる。
殷王朝のような古代的祭政の形態がが失われ、字義もまた推移するのである。
金文の[叔隋器(しゅくだき)]に、・・・中略・・・「しむ」を示す助動詞には史
を用いる。
その使役形は「~史~事~」の形式をとる。
史がのち史官、記録を司(つかさど)るものの意となるのは、もと史祭における
祝詞(のりと)を保存し、その先例旧行によって伝統を保持し、記録するという
職掌を通じて、のちには文書・記録そのものを保管するものとなったのであろ
う。
・・・中略・・・
字形・字義を解するには、字義の沿革とともに、その社会を知ることが必要で
ある。
(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
「史」は「口(さい)をつけた木を右手に持ち、高く捧げて神に祈り祭る」というのが初め
の意味だったようですね。
初めは祭り→祭りを行う仕事をする人→祭りの記録をする人→祭りの「記録(ふみ)」と
社会が変わることによって「史」の意味も変化したのですね。
さて今日の一枚は・・・
右下段左端から左下段[司]の手前まで全部「史」の解説でした。
見た瞬間、茫然としてしまいました。
それだけ思い入れのある字だったのでしょうね。
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