新*今日の漢字* 「義」

今日は実家の母の一周忌でした。

お墓もきれいに直したので、開眼供養もしていただきました。

その後、みんなで会食をして少し前に帰宅しました。

では・・・

新*今日の漢字*

「義」 音読み   ギ    訓読み  ---

    画数   13画    部首  羊(ひつじ)

では常用字解で調べてみましょう。

  会意 羊と我とを組み合わせた形。

     我は鋸(のこぎり)の形。

     羊を鋸で截(き)り、犠牲(いけにえ)とすることをいう。

     儀式のときに供えるいけにえには、羊を使うことが多く、鋸で二つに切り離して

     供えた。

     それは羊の内臓をも含めて、すべて犠牲として完全であることを示すためで、毛

     なみや角(つの)・蹄(ひづめ)などに欠陥がないだけでなく、内臓にも何ら

     病気もないことを示すためであったと思われる。

     それで神などに供える犠牲としての条件においてすべて欠陥がないことを「義

     (ただ)しい」という。

     犠牲として正しいものであることを義といい、のちすべて「ただしい、よい」の

     意味に用いる。

     犠牲の犠のもとの字は羲(ぎ(ぎせい))。

     羲は犠牲にする羊を我(鋸)で切ったとき、その下に後ろ足が垂れている形で、

     丂(こう)がその垂れている足の形である。

     義は犠牲の羊であり、犠は牛など他の動物の犠牲を含めていう字である。

(白川静 常用字解 平凡社)より

次に字統を調べてみました。

 会意 羊と我とに従う。

    我は鋸(のこぎり)の象形。

    羊に鋸を加えて截(き)り、犠牲とする意。

    その牲体に犠牲として神などに供えるのに欠陥がなく、神意にかなうものとして

    「義(ただ)しい」の意が生まれる。

    [説文]十二下 に「己の威儀(いぎ)なり」とし、字を会意とするが、我を己として

    解しての字説である。

    自我の意は仮借義(かしゃぎ)であり、仮借義で会意の字を構成することはない。

    切断された羊の後ろ脚など下体の見えるものが義(ぎ)、それを牲獸の全体に及ぼ

    して、犧(ぎ(犠)) という。

    羲が犠の初文。

    金文には多く威儀の字に用いるが、[師旂鼎(しきてい)]には「義(よろ)しく~す

    べし」という用例がある。

    [説文]重文の字は「墨翟(ぼくてき)の書」にみえるとするが、いまの[墨子]にみえ

    ず、字も訛形(かけい) であろう。

    正義・義理・義行のように語義が引伸する。

    列国期の金文[叔夷鎛(しゅくいはく)]に「肅(しゅく)々たる義政」と、すでに字

    を正善の義に用いる例がある。

(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より

「義」は「羊」と「我(のこぎり)」の形だったのですね。

儀式の犠牲とする「羊」を「のこぎり」で半分にして内臓も含めて完全であることを示した

のですね。

「神などに供える犠牲としての条件においてすべて欠陥がないので「義(ただ)しい」」

という意味になるのですね。




    


さて今日の一枚は・・・


玄関の花もぼちぼちと咲いています。

購入したときに咲いていたスミレはしばらく葉っぱのみ元気でしたが、ようやく、白い花を

つけ始めました。(左側の鉢の左隅の白い物)

ケセラおばさんの日々是好日

今日の漢字での常用漢字が終わりましたので・・・ 元々大好きな、空や植物や動物を見つめて行こうと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000