新*今日の漢字* 「至」
先週体調不良だった下の孫は咳は続くもののマスクをして学校へ行きました。
では・・・
新*今日の漢字*
「至」 音読み シ 訓読み いたる
画数 6画 部首 至(いたる)
では常用字解で調べてみましょう。
会意 矢の逆さまの形と一とを組み合わせた形。
一は到達の地で、矢がその地点に到達したことを示し、「いたる」の意味と
なる。
神聖なものとされた矢を放ち、その到達した地点によって土地を選び、そこに
重要な建物を建てた。
それで神聖な建物である室や臺(台)は、いずれも至を字の要素としている。
矢の到り極まる所であるから、至極(しごく(この上ないこと))といい、「き
わめて、はなはだ」の意味ともなる。
(白川静 常用字解 平凡社)より
次に字統を調べてみました。
会意 矢の倒形と一とに従う。
一は矢の到達点。
そこに矢の到ることをいう。
[説文]十二上 に「鳥飛んで高きよりし、下りて地に至るなり。一に從ふ。一は
猶(なほ)地のごときなり。象形。上に去らずして、下に至りて來(きた)るな
り」と、鳥が地に降り来る形とする。
不字条十二上 に「鳥飛んで上翔(じゃうしゃう)し、下り來(きた)らざる
なり。一に從ふ。一は猶天のごときなり。象形」とあるのと対応する字説で
ある。
卜文・金文の字形は矢の到達するところを示しており、到の字はこの形に従う。
矢を放ってその至るところをみるのは占地の方法で、これによって地をえらぶ。
重要な建物などの設営には、卜宅占地のことが行われたが、字形によって考える
と、室・臺(台)などはこの方法によるものであろう。
また歩して至ることが、重要な儀礼の際の作法であったらしく、卜辞に「父乙
(ふいつ)に禦(まつ)るに商に至る」、[書、召誥(しょうこう)]「王、朝
(あした)に周(宗周(そうしゅう))より步して、則ち豐(ほう(豊京))
に至る」、[書、多方]「王、奄(えん)より來(きた)り、宗周に至る」のように
いう例が多い。
のち至極・至上の意に用い、[荘子]には人の理想態を至人と称している。
(白川静 新訂 字統(普及版) 平凡社)より
「至」は「神聖な矢を放ち、至った場所」ということを表した字だったのですね。
そしてその場所には重要な建物を建てたのですね。
のち「至極・至上」の意味にも使われるようになったのですね。
余談ですが・・・
矢ではありませんが、私の大好きな空海さんは中国から念を込めて三鈷(さんこ)という
法具を投げて、日本に帰ったらお寺を立てる場所を決めたそうです。
その中国から投げた三鈷は今の高野山の三鈷の松に引っかかっていたそうです。
松の葉は通常二本一組ですが、その松の葉の一部は三本一組になっているそうで、
参拝者たちは三本一組の松葉を探してお守りにしています。
さて今日の一枚は・・・
高野山二度目にして、やっと拾えた三鈷の松葉です。
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